潜在能力を発揮する方法

自分が若い頃、超能力を持つことに憧れていた。

何でも欲しいものが手に入ったら素晴らしいことだし、透明人間になったら好きなことが出来ると良く想像したものだ。

ほとんどの大人は子供時代に、一度はそのような夢を持ったのではないでしょうか。

しかし、ある程度の年齢になるとそれが不可能だと知り、しだいにそんな夢も忘れ去っていくのである。

しかし自分は諦めたことはなかった。

おそらく死ぬまでその夢を諦めないだろう。

それが自分が生きていくためのけん引力になっているからだ。

運命といってよいかもしれない。

 

テレビでもユリゲラーだの日本の自称超能力者が多数出演し、毎日のように盛り上がった時代があった。

自分の物欲・性欲が簡単に叶うことほど素晴らしいことはないとよく夢想したものだ。

しかし実際はどうだろう。

そんな超能力は決して実現しなかったし、周りでそれを使える人を見たこともないし遠いテレビだけの夢物語に過ぎなかった。

 

それから30年も過ぎただろうか。

オウム真理教の事件があったりして、超能力ブームはすっかり影を潜めた。

それなりの年齢になって、今の自分は超能力という人間にもともと備わっているという能力を使えるようになったのか検証してみる。

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子供時代

私は小さい時から病弱で、小学校高学年までは年中風邪をひいていた。

扁桃腺が肥大していて、小学校高学年の時にお灸でそれを治してから身体は少し丈夫になった。

しかし、精神が弱かったからか何事をやるにも緊張してすぐ疲れるタイプの子供時代を送った。

今考えると神経衰弱という病名が当てはまるのだろう。

森田療法などの神経衰弱に良いという療法を独学で学び実行したけれども、少し良くなったという感じで根本的には何も変わらなかった。

 

人から良く思われようとして周りのことに気を使いすぎていつもへとへとになっていた。

そんな子供時代は楽しい思い出はほとんどなかった。

他の子供は楽しそうで羨ましかった思い出がある。

 

青年期

大学時代は東京で一人暮らしをしたけれど、初めての独り暮らしは寂しかった。

何をするにも寂しく、友達が欲しくて他者のことばかり気にしていた。

 

そんな状況で、大学のキャンパス生活を楽しんだという思い出はほとんどない。

クラブに入っていたのが唯一の救いで、それなりの人間関係は築けたと思う。

しかし勉強はほとんどしたことはなかった。

そんな状況で青年期の貴重な4年間もあっという間に過ぎ去りました。

 

就職してから

そんな性格は就職してからも変わりませんでした。

常に自分より他者が優秀に見えて、何をするにも自信がない若者でした。

他人の目にいつも怯えてビクビクした生活は、常に緊張を強いられて疲れ切っていました。

仕事から帰ってきたら常に疲労困憊していて、何もする気が起こらずぐったり横になって休んでばかりいる状態でした。

 

何とかしてそんな自分を変えたいと常に思っていました。

そんな中で出会ったのがヨガでした。

自分の職場の傍にヨガ教室があり週に二回通いました。

しかし二年くらい続けましたが、少し神経衰弱が改善されたような気がするだけで根本的には何も変わりませんでした。

 

その後太極拳を週二回1年間やりましたが何も効果なしです。

西野流呼吸法を知り、東京まで通ったこともありました。

東京道場に延べ日数で2週間くらい通い、自宅で毎日1時間ぐらい呼吸法を1年間ほどしたけれど、またしてもほとんど効果はありませんでした。

 

今から思うと、効果を期待しすぎて我の世界に入っていたので効果があるはずはありません。

健康になってやるぞとか、自分に特別な能力を獲得して自信をつけようなどと力みすぎたら、このような精神修養は絶対効果が無いのは今なら分かりますが、当時はなんで効果が出ないのか知る由もありません。

 

とにかくヨガ、坐禅、呼吸法などで一番大事なことは我を張らないことです。

分かりやすく説明すると、ヨガで健康になってやるぞとか潜在意識を開花させるとか効果を期待してやると必ず失敗します。

長年やっていると分かるのですが、気楽に楽しくやるのが一番効果的なのです。

 

この頃は、このような精神修養はまだ自分には時期早々だったのだと思います。

変に我を持ってやって修行が進んだとしても、オウム真理教のような事件を起こしていたかもしれません。

自分のことしか考えられない余裕のない時期に、このような精神修養は絶対やらないことです。

 

精神修養は自分のためにやるものではなく、人の役に立つように自分を高めためにやるものなのです。

これに気づく前に修行にのめりこみ何らかの成果を出したとしても、間違いなく世間に害になるような性格になってしまいます。

 

ある程度の年代の人は皆知っていると思いますが、オウム真理教のような集団ではほとんどが20歳代の若者が中心で、しかも優秀な大学卒の人がほとんどでした。

これは、子供時代から偏差値教育を受け、人を押しのけてきた秀才で自分のことしか考えられないような人達が修行を行うとどうなるか如実に示した事件でした。

 

自分の現在の潜在能力

おおむね自分の思うことが実現するようになりました。

アルコール依存症も克服し、今は自分のやりたい仕事を行いそれなりの幸福感を味わっています。

身の丈に合った生活で十分満足できるため、以前のようなギラギラした欲望は何処かに消え去っていきました。

 

自分の生活に満足できることが非常に重要で、アルコールも1日缶ビール(500cc)2本、週二休肝日を持ち十分満足でき二日酔いもありません。

日々満足していると、過度な飲酒もする気にならないし1日缶ビール二本の生活で適度に満足するのです。

 

このような境地になれたのも、坐禅などの精神修養があったからに他なりません。

潜在能力を開花させたら何か特別な大きな能力が手に入るというようなことではなく、今まで針のムシロのような日常だったのが、日々満足して暮らせるようになることが立派な潜在能力の開花なのです。

このことを取り違えると、思わぬ人生のワナに引っかかることになるのです。

 

皆さんも人生の自分に合った旬の時期に、坐禅、ヨガ、気功、西野流呼吸法などの精神修養を行い、本当の人生の楽しみ方に気づくべきだと思います。

付け加えると精神修養だけが修行ではありません。

ワクワクする趣味を極めることでも立派な精神修養になりますし、登山でもスポーツでも自分が没頭できることであれば十分その効果はあるでしょう。

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