人の生き方は千差万別です。
家族のために自分の人生を犠牲にする人もいるし、逆に家族を犠牲にしてまで自分の好きなことに打ち込む人もいます。
人生の終末期に、こんな人生を歩めばよかったと後悔しても後の祭りです。
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好きなことって何なんだろう
好きなことがある、やりたいことがあると人はよく言います。
その真意に気づくことは本当に難しいと思います。
自分の心の底からワクワクして、そのことに打ち込むと時間が経つのも忘れてしまうというのは、一番分かりやすい心底自分が好きなことだと納得できます。
しかし本当は自分が心底やりたいことではないのだけれど、自分をごまかしてやりたいことにすり替えている人がほとんどだと気づく人は少ないと思います。
偽りの人生
例えば朝から晩まで働き、深夜に自宅に帰り朝早く出勤して家族とほとんど顔を合わせない人がいるとします。
こんな人が良く言う決まり文句があります。
家族のために朝から晩まで身を粉にして働いているんだ、これもすべて家族を思ってのことなんだと。
本当にその通りの人も少なからずいるとは思いますが、ほとんどの人は、家族が煩わしくて職場にいた方が楽だからそうしているだけなのです。
そんな人に限って土日出勤もしたりします。
今の時代いくら日本の会社が大変だと言っても、本当にそのくらい忙しい会社(ブラック企業)なら皆辞めてしまうでしょう。
そんな会社に何年も残って働いているとしたら、それは忙しさを他のことの代償として使っているだけなのです。
分かりやすく言うと、家族のために働くという名目を作り、家族から逃げているということです。
ストレス社会の日本
ほとんどの人が本当の自分に気づいていないために、このようなすり替えを行っているのが日本の現状だと思います。
これは経済優先主義が生み出した心の病気であり、普通の人生を歩んでいてもなかなかこのことに気づけないでしょう。
例えば大病をして生きるか死ぬかの状態になってやっと気づくのです。
またはうつ病のような精神の病にかかり、真の意味の生きるということに向き合うことをしないと気づけないものなのです。
納得できる人生のために
アメリカを中心にマインドフルネスが盛んに行われているといいます。
世界がパンパンに膨れ上がってしまい、何かを求めて皆さ迷い歩いているのです。
日本では古来から坐禅などの精神修養法があり、インドなどではヨガが行われています。
自分は坐禅・ヨガ・マインドフルネス等を長年やっていますが、根本的なところは皆同じで精神の修養法を説いているのです。
何があっても動じない心を育てているのは共通するところです。
また本当に自分の心の底からやりたいことが分かってきます。
どんな人生でも人は生きることが出来ます。
しかし人生の終末期にこんな人生を望んだ訳ではないと後悔するのだけは避けたいものです。
自分の心の底から納得した人生を歩みたいものですね。
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