夢を叶えるために必要な事

自分も以前はそうであったが、夢というものはほとんど叶うことがない空物語のことだと長年思ってきた。

しかしこの10年間色々な精神修養を行い、夢を叶える本などを読み潜在意識の活用法を知るにつれて夢を叶えるハードルが下がり、今ではほとんどの夢を叶えることができるようになった。

ここ半年、夢を叶える能力開発について長々と書いてきたが、どのようにすれば夢が叶う体質になるか書き留めます。

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自分自身を信頼することの難しさ

 

自分自身を信頼することとはどういうことだろう。

辞書によると、信頼とは信じて頼ることと書いてある。

自分自身を信じて頼ることとはどのようなことなのか。

言葉にすると簡単に書くことが出来るけれど、自分自身を信じて頼ることは中々難しいことです。

 

自分の経験から、若い時は自分に自信がなく自分を信じることは全くできなかった。

なぜ自分に自信がなかったかというと、自分より他人の方が数段勝っていたと思っていたからです。

職場の周りの人は自分より仕事ができるし、話術も優れているし何よりも自信満々の生き方をしているように見えた。

新入社員なので周りの人が経験豊かで仕事ができるのは当たり前なのですが、そのことにさえ気付きませんでした。

 

今思うと学生時代(中学・高校生時代)にもっとクラブ活動などをして、他者がどういうものか経験しておけば違ったものになっていたと思います。

大学を卒業していきなり社会に投げ出されたという感じで、全く世間知らずだったのです。

他者に対してビクビクオドオドした気持ちの中で、自分を信じることなどできないのは明白なのですが、当時は劣等感の塊だったのです。

そのような職場生活でしたが、何とか自分を鍛えようとヨガとか気功をして、精神世界の本も沢山読みました。

しかしそう簡単に自分を信頼できるものではありません。そのような中で、日々のストレスなどを和らげるためにアルコールを大量に飲むようになっていくのです。

アルコール依存症になってからのことは他のブログで詳しく書いてますので、この依存症がどのように自分の自信に転化していったかを中心に書いていきます。

人生の好転

 

依存症でこのまま死ぬことを意識した時、こんなことで死んでたまるかという生の渇望が生まれました。

野垂れ死にはしたくないという自分の生の欲望が芽生えた瞬間でした。

人は死を本当に意識した時人生が変わると言いますが、まさにアルコール依存症のうつ状態のときに一時死に、底まで沈んで浮かび上がった感覚です。

こんなことで死にたくないという生の渇望が人生を急変させることになります。

 

何かをしなければと本当に思った時に、坐禅と出会ったのです。

近くの坐禅会に参加するようになってから、少しずつ人生が好転し始めたのです。

何とかしなければという藁をもつかむ思いからでした。

 

それからは毎日15分の坐禅から初めて、毎日50分と増えていきました。

そうするなかで、以前行っていたヨガとか気功法を再開して、健康の方にも目覚めていきました。

心と身体は繋がっていて、どちらか一方の健康では不完全なことも納得できました。

坐禅を初めて半年くらい経った時ですが、坐禅中に喜びに包まれる経験をしました。

これは後に分かったことですが、脳内にセロトニンが放出されて快感が生まれることによるものでした。

 

このような経験をしながら、少しずつですが自分というものがいとおしくなっていきました。

生命の素晴らしさを実感したということです。

そうなるとアルコールというものが毒物であり自分を徐々に蝕んでいくものであることが実感されたのです。

その頃から、少しずつですが自分に対する信頼感が生まれ、いとおしくなっていったのです。

 

アルコール依存症にならなかったら、本気で坐禅などの修行をしてまた自己啓発本などを読むようにはならなかったでしょう。

依存症というマイナスが、何十倍のプラスに変わったということです。

このように人生には一方的なマイナスとかプラスはなく、常に大きく入れ替わっていくものなのです。

マイナスが多ければ、それを克服した時にプラスは何十倍にもなっていくのです。

自分自身を信頼することが全ての始まり

 

仕事などの自信は中々付きませんでしたが、この頃から自分に対する自信が少しずつ付くようになってきました。

仕事は大事なことですが、そんなことよりも生きるということの方が何十倍も大切なことだと感じるようになってきました。

その頃から、少しずつ仕事に対する自信も生まれてきたのです。

それはあまりにも仕事ということを過剰に意識していたことで、自分を委縮させていたのです。

仕事なんて大したことでないし、失敗しても殺されたりしないという開き直りの心が芽生えたからです。

つづく

 

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