日本では親が子供を虐待し警察から児童相談所に通告される件数が、年間約8万件あるといいます。
その中で年間約50人の子供が親の虐待により死亡しているといいます。
今話題になっているあおり運転で警察に摘発される件数は年間二千件あるといいます。
専門家によると実態はこの10倍はあるといいます。
なぜ日本はこのような時代になったのでしょうか。
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スマホの功罪
今やほとんどの人がスマホを持つ時代になりました。
電車内ではほとんどの人がスマホを見ています。
歩きスマホも当たり前で、人は常にスマホという画面に縛られて生きているのです。
こうなると、人は自分以外の物に意識を向けることが当たり前になり、ますます現実感が欠如した世界に生きるようになってきます。
あたかも現実の辛さをスマホの世界に逃げることにより、ごまかしているような生き方をしているのです。
スマホは使い方によっては最高のツールですが、それに飲み込まれた人があまりにも多くいるのも事実です。
一言でいうと主体性のない木の葉のような人生を歩んでいるということです。
何でも一番になりたい生き方
最近特に感じるのは、皆車の運転が荒くなっていることです。
人のことを思いやるのが日本人の美点でした。
車を運転していると常に前の車を追い越して先頭に立たなければ気が済まない今の日本人。
急いでも数十分早く目的地に着く程度なのにそれすら我慢できない生き方。
全てのことで最高の欲望を甘受しなければ満足しない人生。
言い方を変えるとフルコースのフランス料理に飽き足らず、最後に何かサプライズがないともう満足しないところまで人類は来ているのです。
実はそれほど不幸な生き方はないのです。
原点に帰る生き方
部屋で一人でぼんやり音楽を楽しむのはもう無理なのでしょうか。
スマホに依存した生き方が、無駄と思える時間を許容しなくなるのです。
何でも張り詰めたことしか許さない生き方になっていきます。
人は緊張と弛緩のバランスが実は一番大切なことなのです。
スマホなどの直接的に感覚を刺激する物が発達すると、静かに今の時間をじっくり噛みしめるような生き方はできなくなります。
そうなると人を物としか見れない世界になって行くのです。
この今の日本のような殺伐とした世界を変えるのは、AIのような知的なことではなくもっと人間の根本的な魂に帰る瞑想などの方法しかないのではないでしょうか。
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