子供の頃から、人はプライドを持たなければならないと言われることが多い。
それは本当に大切なことなのでしょうか。
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自信を持った人
自信満々に見える人を何人か知っています。
いかにも自分は人生のすべてを知っているように振る舞い、堂々と発言をします。
仕事もてきぱきとこなし上司からも一目置かれるようになります。
しかし過去に華々しい活躍をしたスポーツ選手が出演する番組などを見ていると、意外な証言を聞くことがあります。
曰く、当時は本当に自信がなく野手であれば打球が飛んでこないように祈ったとか、投手であれば心臓が飛び出すのではないかと思ったという体験を何度もしたと言います。
しかし当時のそれらの華々しい活躍をした選手は、決してそんな風には見えず自信満々い振舞っているように見えました。
心の裏腹を見抜くのは難しい
自分に自信のない人が、その心内を隠すために虚勢を張ることはよくあることです。
弱い犬ほどよく吠えるというやつです。
先ほどの自信満々に見えた超一流だった野球選手でも、心臓が飛び出すような思いを何十回としているのですからそれを見抜くのは難しいでしょう。
いわんや、我々のそばにいる凡人たちの中で、本心は全く自信がないけれど虚勢を張ることに味を占めた人が沢山いることは明らかなことです。
それで仕事も家庭も自分が満足できるような状態になっているのであれば、虚勢を張ることは特に何も問題は起こらないし、よりよい人生のために必要不可欠なことと思ったりして自分を納得させることもよくあることです。
人生後半の悲劇
そんな虚勢を張った自信満々に見える人でも必ず人生の後半になります。
60歳を過ぎ定年を迎えます。
そして第二の職場などに勤めたときに、一気に今までの生き方のツケが出てくるのです。
今までの職場で通用していた虚勢も第二の職場では全く通用しません。
何をやっても馬鹿にされたことがない人生だったけれども、第二の職場ではちょっとしたミスでも白い目で見られ蔑まれます。
家庭では給料が三分の一になったことでいさかいが起きて、奥さん・子供からも馬鹿にされたような目で見られ相手にもされなくなります。
なるべく家に戻ってこないようにと言われたりもします。
プライドが高いほど後半生は辛い
このように人生全般でもてはやされることは無いと考えた方が良いのです。
なぜかというと、よほどの人格者でない限り日々の生活の姿は決して完ぺきではないし、家庭では醜い姿を見せざるを得ないし、職場でも失態を見せることはあるのです。
しかし会社の地位だとか家庭に持ってくる給料の量で尊敬しているように見せられるのです。
会社の部下たちは、心の中ではこの上司が早く退職してくれないかと思っていても、もちろん人事権などがあるので言うことができません。
家庭であっても、それなりの給料を持ってくるので両目を瞑っているだけなのです。
しかしそれらのものが無くなった時、誰もが予想できるように周りが一気に本音をぶちまけてくるようになるのです。
それは、プライドが強かった人ほどショックは比例して大きくなります。
皆さんも、こんなはずではなかったと思う人生後半を歩まないように、プライドは少なめにして生きましょう。
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