幸せとはどこか高いところにあるものではない。
例えば猛勉強をして良い学校に入り
良い会社に入るとか、
たくさん働いて財産を作ることなどによって
幸せになるのではない。
そうではなくて、
もっと低い誰もが平等に持っているところで
幸せというものを感じるということなのです。
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平凡な日々
子供の頃は何に対しても好奇心があり、
見るもの聞くもの全てのことが新鮮で
常に活き活きと生活することができます。
しかし青春時代を超えて中年にもなると、
ほとんどのことの先が見えてしまい、
日常の好奇心というものが
ほとんど無くなってしまいます。
毎日食べるご飯にしても食べる前から味が想像でき、
食べてもやはり予想通りの平凡な味しかしません。
新聞を見ても、本を読んでも初めっから想像がつき
何も新鮮なことが感じられないようになります。
職場に行くにしても毎日同じ時間の電車に乗り、
職場では決まった時間に決まった味のコーヒーを飲み、
決まった相手と世間話をしていつも通り笑ったフリをする。
仕事も毎日変わりばえのない同じ仕事をして、
同じ間違えを指摘される。
こんな人生に何の意味があるのだろうとさえ
思ってしまいます。
非日常的な物事
そんな平凡な日々が一変することがあります。
会社の倒産、ガンの告知、離婚、親族の事故、
自然災害など昨日までの平凡な日々が
嘘であるかのように、人生は一瞬で暗黒に
切り替わることがあります。
そんなとき人は必ずなんで私がと思ってしまいます。
そうなると昨日までの変わりばえのしなかった
意味の無いような日常が、急に輝き出すのです。
そんな平凡な日々がなんて幸せなことだったかと。
無知
人は失わなければそのありがたみに
気付けない生き物なのです。
長年思い描いた夢が叶ったとしても
喜びは瞬間で終わってしまい、
また次の欲望に走らなければ満足しない
生き物なのです。
そうやってますます本当の幸せから
遠ざかっていくのです。
そして老人になり、死の直前に過ちに気付いても
もう遅いのです。
何気ない日常にある幸せ
囚われや思い込みを捨てて、
もっと大きな心になり生きて行くことが
幸せには一番必要なことではないでしょうか。
一つ一つの平凡な瞬間を丁寧に生きて行く。
別な言い方では瞬間に心を込めて生きて行くことしか
幸せを感じることはできないのです。
例えどんな時代になっても、
自分の幸せは政治家とか国とか会社が
作ってくれるものではなく
自分で作って行くことしかできないのです。
例え過去にどんな不幸なことがあったとしても、
それに引きずられることなく
今この瞬間を丁寧に生き切ること。
実はそれが一番大切なことなのです。
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