理性で考えるほど辛くなる!新しい生き方

人は何かトラブルなどが起きた時、考えれば考えるほど良い道が見つかるのではないかと思ってしまいます。

 

悩み事、心配事などがあれば、ほとんどの人は疲れ果ててしまうほど考えに考え抜いて良い解決策を見つけようとします。

それで果たして解決策は見つかるのでしょうか。

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先人の知恵

2500年前にブッタという人が仏教を広めました。

ブッタは裕福な王家に生まれましたが、不幸な人を目の当たりにして人生とは何かを求めて出家しました。

 

そして様々な苦行をしましたが悟りを開くことができませんでした。

最後に行き着いたところは瞑想という修行でした。

 

その後、瞑想により悟りを開き仏教という思想を広めることになりました。

仏教と聞くとお寺で葬式をするようなイメージがありますが、本来は自分の可能性を求めるためのメソッドなのです。

 

瞑想とは

瞑想とは一言で言うと、自分の内面に向かっていき自分の存在の意味を問うことにほかなりません。

 

外に向かい何かを求めることではなく、自分の内面の中に、求めていることが全てあるという考え方なのです。

 

そのためには心を空っぽにして(何も考えない)心の底から湧き上がって来る知恵に気づくことなのです。

我々は外界からの刺激により様々な影響を受けて生きています。

その刺激が良いものであれば良い方向に向かって生きていくことができます。

しかしほとんどの刺激は良いものではありません。

 

利益しか考えない社会

例えば利益最優先の企業が、CMなどにより我々に必要以上の消費を駆り立てたりします。

 

もちろん必要な物の消費は悪いことではありませんが、我々をうまく洗脳して必要のない物まで消費させようとします。

 

タバコ、酒にしても害があると知りながら利益最優先の会社は巧妙に我々に売ろうとします。

 

我々の思想、考え方までマスコミ、インターネットなどにより決定づけされていることに気づかなければなりません。

しかもその洗脳とも言えることは、ほとんどが我々個人の幸福になるためのものではなく、企業の利益になることが優先された小手先のものなのです。

 

自分を持つ

様々な雑音ばかりの世の中で、木の葉のようにヒラヒラと何処へ行くともなく生きるのではなく、自分の本当の生き方をするにはどうすれば良いのでしょうか。

 

そのためには、まず自分という揺らぎない本質に気づくことが一番重要になります。

ではどうするかというと、外界からの雑音を遮断して自分の内面を見つめることです。

それが瞑想の目的なのです。

 

瞑想とは

瞑想には色々な方法があります。

坐禅、ヨガ、マインドフルネス、ヴィパッサナー瞑想などがあり、やり方は違いますが

基本的な部分は同じものです。

 

自分の内面を見つめることにより自分を知り、自分というものの意味、理由、可能性などに気づき外界に左右されない確固たる自分を作り上げる、それが瞑想の目的なのです。

 

考えないことの素晴らしさ

確固たる自分に気づいたとき、下手に理性(大脳)で考えることよりも自分の本質である直感のような心で判断した方がよほど正確な判断ができることに気づきます。

 

悩み苦しみから逃れようと理性で考えたことで結論が出ることはほとんどありません。

ただ悩み苦しみが拡大するだけではないでしょうか。

 

本当に悩み苦しみから逃れる方法は、心の奥底から出て来るひらめきのような直感であり、大脳から出てくる思考での判断ではないのです。

 

思考では堂々巡りするだけで、最後は一か八かの賭けになってしまいます。

 

確固たる自分を見つけて、世間に惑わされることなく自分の道を行く。

これがこれからの不確実な時代に一番必要な生き方なのです。

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