消化試合でない生き方!主役でない人生も受け入れよう

どんな人生にも意味はある!野に咲く雑草になろう

複雑すぎる世界

世の中が複雑になってきて、心底安心して暮らすことが難しくなってきたと感じるのは自分だけでしょうか。

 

ITや人工知能などが世の中の中心になってくると、それに乗り遅れた人は何とも言えない疎外感を感じてしまいます。

 

舞台でいえば脇役的な人生になってきて、主役でない人生は意味を持たないように

錯覚してきます。

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消化試合

消化試合とは野球などでシーズン途中に優勝チームが決まり、今後いくら勝率を上げても優勝の見込みがない時であっても試合をしない訳にはいかないのでしかたなく試合を消化すると言う意味で使われます。

 

人生も40歳位になってくると、今後いくら頑張ってみた所で自分の将来が見えてしまうことがあります。

そうなると惰性で生きることしか出来なくなってしまいます。

惰性ならまだ良い方ですが、人生を時間つぶしのように生きてしまうと生きがいを無くし無駄に過ごしてしまいます。

 

野に咲く花のように

脇役であろうが、木っ端役であろうがどんな人生にもそれなりの試練もあるし

喜びもあります。

 

芸能界などを見ていると、若い頃主役で活躍した俳優が年と共に寂れていって、

人生の後半に不幸になる人は後を絶ちません。

それとは逆に、万年脇役で苦労した俳優が、人生の後半に輝かしい魅力を醸し出し、

人に感動を与えることも多くあります。

 

普通の人の人生も後者が理想だと思います。

しかし、人によっては常に脇役を演じなければならない人生もあるのです。

しかし幸せな晩年を迎えるためには「主役でない人生を受け入れる試練」を

乗り越えなければならないのです。

 

それを乗り越えたものだけが、人生の黄金期である定年後の二十数年間を

意義あるものにしていくことができるのです。


野に咲く雑草にも無駄なものは一つも無いし、野原のために必要不可欠なものなのです。

悟りを開くとは、雑草でもそれを受け入れ生を全うすることなのではないでしょうか。

 

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