失わなければ気付かない幸せなこと

当たり前にある物、例えば空気、水などに有難味を感じる人は少ないと思います。

その有難味を感じるときは、それが少なくなってきたり無くなったときです。

 

空気、水が無ければ人は絶対生きていくことは出来ないので人間にとっては最も重要なものです。

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本当に大切なもの

親、配偶者、子供、友人など常に身近にいる人は、傍にいることが当たり前になって煩わしささえ感じてしまうものなのです。

食べ物も同じことが言えます。

日本人であれば、米・魚・みそ汁・梅干・納豆・漬物等、毎日当たり前に食べているものにはありがたみはほとんど感じないものです。

しかし海外で長期生活してみると、これらの日本独特の食べ物が本当によだれが出るほどいとおしくなってしまいます。

 

自分の例でいうと、10日間のイタリア旅行で朝食は菓子パンなどのシンプルなもの、昼夜はスパゲッティ・ピザなどばかり食べた経験があります。

帰国時に、成田空港でうどん定食を食べて涙した経験があります。

うどんと漬物・梅干・海藻・佃煮などの小鉢が5個くらいありました。

三つ子の魂時代から慣れ浸しんだシンプルな日本食が、これほど美味しく感じたことは他にありませんでした。

それと、小鉢の味が妙にコラボして体の細胞が活性化するのを感じたものです。

これらのシンプルなものを食べただけで、今まで感じたことがなかった幸せを味わうことができたのです。

これらの物も、空気・水などと同じく、それがなければ生きていくことができない大切なものです。

 

気づく方法

親、配偶者、子供、友人を失ってからその大切さに気づいても遅すぎるのです。

傍にいるうちからその大切さに気づくことの一つとして、未来から今を振り返るという方法があります。

 

例えば10年後の自分を仮に想像してみます。

「両親はすでに亡くなってしまい親孝行は何一つ出来なかった。

母の日も父の日も何かをしてあげたくても、もう居ないので何もできない。

両親を一度も温泉に連れて行ってあげることが出来なかった」などと想像して思いっきり後悔してみるのです。

鮮明に想像するほど後悔の念は強くなり、今いる両親を愛おしく思わずにはいられないでしょう。

 

食べ物に関しても同じ方法が効果的です。

仮に自分が病気になって流動食しか食べられなくなったことを想像します。

普段当たり前に食べていたご飯・納豆・梅干を食べたくても食べることが出来ないのです。

その無念さを感じてみるのです。

 

また坐禅、瞑想などによって両親を失ったこと・食べたいものが食べられない状況に浸ってみるのも効果的です。

 

当たり前の有り難さに気づく

このように、人は普段当たり前に生きているだけでは、大事なことの有難味を感じない生き物なのです。

そしてほとんどの人は、失ってから損なってから後悔するのです。

そうならないために、是非とも未来から今を振り返ってみることをお勧めします。

 

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