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永遠の不幸
人はいつも今に不満です。
もう少しすると良い事が起こるから今辛抱しなければならない。
より良い未来のために今を犠牲にして頑張る。
今の自分は本当の自分ではない、もっとすごい自分になることが必ず出来ると今を否定します。
今を否定して良いことがあるのでしょうか。
今を認めないと、目の前の人参を追いかける馬のようにいつまでたっても幸せはやってこないのです。
決して食べることが出来ない人参を追い求めて何か良い事が起こるのでしょうか。
何時も何かに追い立てられて充実感は全くないでしょう。
未来は今の積み重ねであるいじょう、
今に満足しないと未来も満足できません。
今を楽しめない人は永遠に楽しめないということです。
今に溶け込む生き方
人は今を感じるしかありません。
未来は想像できても感じることはできないのです。
今が心地よければ永遠に心地よいともいえます。
時間はあってないようなものです。
今がすべてです。
アルコールに依存している人は、しらふの時には今に生きていません。
しらふの自分は仮の自分で、アルコールを飲んでいる時が自分の本番だと思っているのです。
アルコールに限らず、薬物、ギャンブル、
セックスなどすべての依存症の人は皆、依存している時以外は仮の自分を生きています。
依存症に共通することは、しらふの時はいつも周りを気にして気に入られようと全力を尽くします。
自分というものが無いために全て周りに依存してしまうからです。
そして疲れてヘトヘトになり酒、薬物などで癒そうとします。
それがまた依存を助長して行くのです。
しかしいったんアルコールなどの依存物質が体内に入ると、それまで周りに気を使っていた反動が一気に爆発して豹変してしまうのです。
本当の生き方
本当に自分の人生を生きている人は周りを気にしません。
周りはどうでも良いのです。
今が明るくて良い気分になる事以上に大切なことはないのです。
自分が心地よければ周りも自然と整ってくるのです。
今を大切にすると下手に将来を心配することもなくなります。
それは、今が心地よければその延長線上に必ず幸せがあると体で感じるからです。
幸せは求めるものではありません。
幸せは気付いたときに、そのようになっていたという状況を表すものなのです。
従って幸せは求めても決して得られるものではないのです。
これに気付かないと、常に人生に不幸感がつきまとうのです。
坐禅はどんな状況であろうと
今を生き切ることを練習する方法なのです。
今を楽しむこと!
未来は今の積み重ねで決まるのですから。
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