新元号も決まり春真っ盛りです。
春といえば新入学生や新入社員が
新しい第一歩を踏み出す時期でもあります。
そんな人達の為になる話を書きます。
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青春時代
学生時代は死に物狂いで勉強に明け暮れた人も
多くいることでしょう。
またその逆に目先の誘惑に負けてほとんど勉強もせず、
就職してからそのことに後悔してる人もいます。
友人関係で悩み傷ついた人もたくさんいることと思います。
学生時代は楽しいことよりも
辛いことの方が多かったという人もたくさんいます。
青春時代は良かったと中年になり言う人もいますが、
ほとんどの人は傷つきぶつかり合い、
自分を責め苦しんでいたはずです。
そのように苦しむことによって得られるものは、
青春特有な繊細な心でなければ得られないものなので
貴重なのです。
おじさんやおばさんの気持ちであの青春を生きたとしても
得られるものはないでしょう。
それが青春というものなのです。
年を取ってからの気持ちで青春に戻れるのなら
戻りたい気もしますが、
またあの青春をあの繊細な気持ちで生きるとなると
気が引けてしまいます。
社会という荒波
勉強や友人・親子関係に疲れ果てて
早く社会人になりたいという学生も多くいると思います。
しかし社会人になっても学生時代と同じように
必ず試練が待ち構えています。
その内容は学生時代とは違いますが
同じ程度の苦しみと言って良いでしょう。
苦しみの程度はどこに行っても変わらない
例えば日本で生活することが苦しくて南の島に行ったとしても、
最初は開放感があり幸せな気持ちになりますが、
3ヶ月もすると必ず同じ程度の苦しみを作り出してしまうのです。
海岸での夢のような日光浴の生活も一週間もすると飽きて、
あんなに忙しく働きバチのように働いていた生活は
充実感があったんだなどと、懐かしくなったりします。
貧富であったり病苦であったり結婚したり離婚したりするのも
同じことが言えます。
大病に苦しんでいたが、その病気が治ってしまうと
今度は些細な耳鳴りが気になり生活に支障が出てしまうなどです。
結婚して縛られて相手と相性が悪くこんなはずではなかったと
離婚してみたところで、今度は一人暮らしの寂しさに耐えきれなくなり
同じ程度の孤独感に苛まれます。
このように人は考え方を根本から変えない限り、
何をしても苦しみの内容は変わりますが
その人の器に合った苦悩を味合うようになっているのです。
宗教が必ずある理由
世界のどこの国に行っても必ず宗教はあります。
小さな南の国に行っても土着の儀式などがあり
それも宗教と言えるでしょう。
原始時代に集落ができて人が集まると
そこに必ず宗教が生まれたという研究があります。
人が集まった遺跡などから儀式の道具が
必ず見つかるそうです。
進化すればするほど人には宗教が多く関わってくるのです。
これは人の我と関係があるはずです。
人は自分一人しかいなければ我は目覚めないはずです。
人が集まり他者と自分を比べた時に優劣を感じ、
自分を優位にする心が働き自分を大事にする心が
芽生えるのです。
我が我がという自分本位の考え方です。
この自我が全ての苦しみの源だと
2500年前にブッタは悟りを開き発見したのです。
またキリスト教などの他宗教でも自分以外の隣人を愛せなどの、
自我が一番厄介なものとする考えは一致しているのです。
幸せの方程式
ここまで苦しみの原因が分かると生きるヒントになります。
一言で言うと我が我がという自我の強い人は
苦しみも大きいということです。
自分だけでなく自分の家族とか親戚だけを
大事にしたりすることも同じことになります。
逆に言うといつも幸せそうに見える人は
自我が少ないと言うことができます。
自分のことも他人のことも
同じ目線で見ることができると言うことです。
自分を囲わず他者と共有できる心の部分が広いと言うことです。
共感力が強いとも言えます。
幸せになるために
この厄介な自我は普通に生活していても
なかなか減らすことはできません。
なぜなら子供時代から受験競争などで
常に他者と戦ってきたからです。
心に染み付いた競争心は普通に生きていては
なかなか拭うことはできないでしょう。
効果的なことは病気になったり怪我をしたり
倒産したり家族に不幸があったりして、
本当に心の底から自分を見つめざるを得ない
状況になった時です。
その時が一番自我を少なくするチャンスなのです。
それと同等に効果があることは坐禅などの瞑想です。
今はマインドフルネスとかヨガの瞑想など
沢山の良い方法があります。
時には自分の心を深く見つめてみることも人生には必要なのです。
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