やっとたどり着いた夢!しかしなぜか虚しいのは何故か

山の頂上に立つのはいつも気持ち良いものです。

険しい山であるほど頂上に立った時の喜びは格別なものがあります。

 

人生でも受験、就職、結婚、昇進など長年かけてやっと手に入れた時は最高の喜びがあるものです。

 

しかし時間が経つとその喜びも消え失せて、むなしくなるものです。

自分の夢が叶ったのになぜ虚しくなるのでしょう。

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人は過程に喜びを見いだす

旅行を計画している時に誰しもあれこれ夢を思い描いて幸せな気持ちになるものです。

これから起こるであろうまだ見ぬ土地での出来事を自分なりに想像して夢は膨らんでいきます。

しかしいざ旅行が始まり現実の世界が目の前に登場すると、思い描いていた夢とはかけ離れていてがっかりすることも多々あります。

 

夢が叶っても現実が待っている

これと同じことが、夢をやっと手に入れた後にも起こるのです。

 

それは夢を手に入れた時の喜びを自分の勝手な空想で膨らませてしまい過ぎるために起こります。

 

例えば第一志望の会社に就職できたとします。そんな夢に描いた理想の会社であっても、いざ出勤すると様々な人間関係、希望の部署に配属されない、出世競争等次から次と困難が待っています。

 

たとえ夢が叶い昇進したとしても、責任は重大になりストレスも以前の数倍になることもよくあることです。

そして部下と上司の板挟みになり、こんなはずではなかったと思い悩むことになるのです。

 

結婚生活についても同じことが待っています。

大好きな人とやっとのことで結婚できたとしても、新婚初日から現実の生活が待っています。

一人で生活していた時は100%自分の好きな生活が出来ていたのに、二人で生活すると自分の好きなことが半分もできなくなります。

それ以上に、大嫌いなこともしなければならなくなります。

見たいテレビも相手に合わせて見れなくなるし、食べ物の嗜好も違うため嫌いなものも食べなければなりません。

相性が悪い姑、親戚、相手の兄弟姉妹などにも愛想良く付き合っていかなければなりません。

 

このように夢が叶う前は自分の好きなように、都合のいいように想像しますが、夢が叶った後は容赦ない現実が待っているのです。

 

人生は虚しいのが当たり前

2500年前に、どんな人であっても人生は無常で虚しいものだと気づいたのはブッダでした。

 

王様の家系に生まれようが、商人、農民であっても皆同じく人生は虚しい。

そして仏教が生まれたのですが、今も昔も人生は苦しいものなのです。

人生は忍土とはよく言ったものです。

 

隣で栄光に輝いているように見える人であっても、それは長続きせずすぐに無常の嵐が待っているのです。

隣で幸せそうに暮らしている家庭であっても、実情は全く逆に家庭内暴力に苦しんでいるのかもしれません。

みんな自分と同じく苦しいものだと知ると、人生を楽に考えることができるのではないでしょうか。

 

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