恵まれ過ぎた境遇は必ず破綻する!そして修行が始まる

人生には波があり良い時もあれば悪い時もあります。

人生の前半生があまりにも恵まれていると、

後半に大きな落とし穴が待っていることがよくあります。

 

長年勤めて人間模様を観察していると、

人生の無常を感じさせられることが多くあります。

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羨望の眼差し

学生時代容姿が優れていてモテたり、

勉強ができて他人の羨望のマトになるような人は

よくいるものです。

 

側から見ていても本当に羨ましい限りの人生を

歩んでいるように見えてしまいます。

そんな人は人気者なので一生涯友人知人にも恵まれて

幸せな人生を歩むのだろうと考えてしまいます。

 

それに比べて自分のことは粗探しばかりして

劣等感にさいなまれ、

自ら自分の可能性を閉ざしてしまう人も

多く見受けられます。

 

長期的な眼差し

学生時代、就職してからの前半生に

そのような恵まれた人たちを見ていると

共通点が見えてきます。

それは周りを見ることができない

自分勝手な生き方をするということです。

 

若い頃は恵まれた勢いがあり、

自分の思い通りに生きることが許されるも、

ある程度年齢を重ねてくるとその様な生き方が

通用しない時期が来るのです。

 

若い頃は人から羨まれるオーラがあっても、

いずれそれだけでは生きられない時期が

必ずやってきます。 

 

人は見抜く

そのような優れたように見えた人たちも、

世間というあらゆる種類の人達がいる世界で

揉まれる中で、数々の挫折を経験することに

なっていくのです。

 

若い頃は容姿が良いことだけで

羨望の的になれたけれど、

ある程度の年齢になると

それが通用しないことを知るのです。

 

また学生時代に勉学優秀であれば

多少の人格的な欠陥があっても生き抜けたけれども、

社会に出るとそのような頭デッカチな人は

使い物にならないので疎まれるのです。

 

本当の人生の始まり

そのような若いある時期に一斉を風靡した人たちも、

その時期に磨くことができなかった、

自分の欠損した人間性を

一から学び直さなくてはならないのです。

 

一旦身についた人格を壊して

新しく作らなければならない作業は

長く辛いものとなります。

 

若い時には想像もつかなかった人間の心の深い闇、

絶望などを嫌という程経験しなければ

自分の身に着けた殻は破ることができないのです。

 

それは病魔という形になって

自分に降りかかって来ることもあります。

健康な時には想像もできなかったような病苦を経験して、

初めて人の痛みに気付くことになるのです。

 

どのような形であれ自分以外の他者の気持ちが

分かるようになってくると、

新たな本当の人生が始まることになるのです。

 

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